何が出来るのであろうと思った時、『夜の霧』『それでも人生にイエスと言う』フランクルを思い出しました。

昨日、いつもの産直で、生産者のお名前が分かる新鮮リーズナブルなお野菜が購入出来る、ありがたいお店に、いつものように寄りました。

入荷を待っていた新ショウガありました。
たかが紅生姜、されど紅生姜なのです。

数年前から梅干し作りは主人の担当になり、私は、見る人、いただく人になっているのですが、その梅干し作りの時に出来る赤じそ梅酢で、新ショウガが入荷した時に、紅生姜を作る事が、私の喜びになっています。

ですが、何か、いつもの喜びがない。
ガリも、作るのですが、何か、違う。

千葉県は、先日の台風で、まだ停電の地域があり、今でも電気の無い生活を強いられており、分かっている限りで約1万軒で断水が続いている。

同じ千葉県に住んでいて、私は、このままで良いのだろうか、と感じている自分に気がつきました、

1人でも、幸せでない人がいたら、本当の幸せにはなれない、と言う言葉を聞いた事があります。

何が出来るのであろうと思った時、『夜の霧』『それでも人生にイエスと言う』フランクルを思い出しました。

心理学者、ヴィクトール-フランクル氏が、1942年〜1945年にアウシュビッツを含む数カ所の強制収容所に収容された後、解放され、ナチスによる強制収容所での体験を綴った本です。

精神的な自由、人間の精神の素晴らしさが伝わる名著です。

『人間はひとりひとり、このような状況にあってもなお、収容所に入れられた自分がどのような精神的存在になるかについて、なんらかの決断を下せるのだ。典型的な「被収容者」になるか、あるいは収容所にいてもなお人間として踏みとどまり、おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ。』

そして、最も大切な事は、「自己実現」よりも、「自己超越」を強調し、人間のこころは、「自分を超えた何か」とのつながりにおいて初めて、人間は、本当に充たされ得る事を繰り返し説いています。

どの様な状況下にあっても、本来の自分を見失わず、苦難の中、目に見えない存在と共に、生かされている意味に生きられます様に。

千葉県のホームページから、現在の台風15号の被害状況、救援状況を知りました。

どうか、一刻も早く断水、停電の状況からライフラインが整い、皆様が、通常の生活に戻レます様に。
事故、病気から守られます様に。

被害を受けられた皆様に、必要な癒しが与えられます様に、レイキを送ります。

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